ヨーロッパを旅しようと決意するまで
宇宙人のような旧友の藤原寛一氏(現在は夫)と再会し、おおいに刺激を受けた私。
仕事が趣味のような私は、仕事帰りに会社の人たちや友人たちと飲む時間が唯一の楽しみ。
けれど、どうしてもその世界での会話は狭く、仕事の話、人間関係のこと、現状への不満も満載。
女性たちは、ブランドやおしゃれのこと、食べ物のこと、ダイエットのこと、それから彼の話とか…
その辺にあまり興味のわかない私には、なんだかいつも物足りないような閉塞感みたいなものを抱えていたような気がします。
そんな中、寛一氏からバイクで旅することや、海外の出来事を聞くのは、今まで触れてこなかった新しい物語を知るようで楽しかったのだと思います。
そして、そんな話に影響されて、私が選択したのが
バイクの免許を取ってみよう
でした。
インドアで、出不精で、運動なんて全くせず、私生活ではできる限り動くことさえ避ける日々。
出かけるときは、人に誘われて引っ張り出されてやっと出かけるようなタイプだった私が、何を血迷ったのでしょう。
今思えば、とりあえず、何かこの狭い世界から出てみたかったのかもしれません。
免許とバイクを手に入れて
そうして私は、仕事の合間を使って教習所に通いはじめました。
思い出したけど、最初の教習時間にバイクの引き起こしで腰をギクッ。
なんとか家にたどり着いたものの、ソファーに横になったが最後動けなくなる、という人生初のぎっくり腰になったのでした。
そんなとても順調とは言えない教習所通いを経て、無事に自動二輪の免許を取得した私。
どしてそうなったかは記憶にないんだけれど、125㏄のオフロードバイクを手に入れました。
そして、寛一氏に連れられてバイクツーリングに行きます。
今思い出せる最初のツーリングの記憶は、山の中に連れて行かれ、ダートを走らされ、真っ暗な湖の脇にテントを張って、とりあえず何もできずに固まった私。
新しい世界は、衝撃的で、全く順応できる気がしなかった。
それでも、そこには想像もできない新しい環境がありました。
この提案から人生が大きく動き出す
時々、一緒にツーリングに出かけられるようになった私。
少しずつ自分で動く楽しさを体感していきます。
そして何より、今まで避けてきたようなこと、自分には縁がないと思っていたこと、きっとダメだろうと決めつけていたこと、そこに向き合います。
そして、それをしっかり体験してみて、けっこう大丈夫かも と思えたのは大収穫。
そうやって、今までの日々とは全く違うところに、少しずつ自分のできることを広げていけた私。
ある日、寛一氏がこう言ったのです。
「世界一周のうち、一番旅しやすいヨーロッパに一緒に行かない?」
なんですとぉ~
寛一氏が次に世界一周に行くことは再会した時から聞いていたし、応援もしていました。
けれど、そこに自分が直接絡んでくるなんて想像もしていませんでした。
ここから、私の苦悩が始まります。
今の仕事は大好きだし、やりがいがあって、これからも続けたいと思っている。
だいたい、海外なんて「車窓から」というテレビ番組で触れるくらいで、自分と縁があるとは思っていませんでした。
なにしろ、学校の教科の中で 語学が一番苦手 だったのですから。
そんな私が、海外を、それもバイクで旅するなんてことができるんだろうか…
私の出した結論
このまま普通に仕事をしていたら、だんだんできることが増え、そのうち部下ができて、出世して、収入も増えて、毎日忙しくも充実した日々があると思う。
それはそれで、きっと満足しているだろう。
けれど、もし寛一氏と一緒にバイクでヨーロッパを旅したら…
…
…。
どう考えても、全くその先がイメージできない。
そう思い当たったとき、こう思ったのです。
想像のできる未来よりも、想像のできない未来を見てみたい
私の人生が、思いもよらない方向に動き出した瞬間でした。
自分の人生を自分で選択する、そこには不安よりも希望があふれていました。
1991年5月~12月まで、ヨーロッパをふたりでバイクで旅した時のことを振り返っています。
ベルリンの壁が崩壊したのが1989年11月のこと、旅を始めたのは、それから1年半しか経っていない激動の頃でした。
ヨーロッパの様子も今とは大きく違うところもあるでしょう。
旅もバイクも超初心者の私が旅に出るまで、そして、この時はまだ夫婦ではなかった私たちの様子も懐かしい思い出です。