夫とともにバイクで海外を旅していました。
数ヶ月から数年にもなる長期の旅を何度も続け、旅をしていた期間を合算すると5年、訪問した国は76カ国にもなりました。
けれど、私はもともと旅好きでも、バイク好きでもなく、いつか海外を旅してみたいという夢を持っていたわけでもありません。
車の免許はあったけれど全く運転はしない(もう運転できません)し、本当は家から出ないで暮らしたいと思うような超インドア派。
そんな私がなんで旅をするようになったかは、最初の旅の話のところで書きましたので、興味を持っていただけたなら読んでみてください。(Vol.1 ~ Vol.6まであります)
旅で得たことってなんだろう
それにしても、人生とは不思議なものだなぁ、と感じます。
旅に出るまでは、こんな旅人生が自分の身に降りかかってくるなんて、これっぽっちも想像できなかったんですから。
けれどそれは私にとってとても大きなことで、その後の自分という人間をつくりあげていくための大きな方向性を決めるもの、指針になるような何かを与えてくれたものだったような気がします。
1.行動することの恩恵
ではその旅が、私に何を与えてくれたのか、ちょっと考えてみたいと思います。
最初に出てくるのは、この「行動する」ということの大切さです。
人には無限の可能性がある
人には可能性がある、そう旅をする前から頭ではわかっていました。
でもそこは言葉として知っていて、そうだろうとなんとなく理解していた、という程度のことでした。
それが、自分を実験台として実感することができた、という感じでしょうか。
バイクも旅も初心者で、運動神経が良いわけでも力があるわけでもない私。
そんな人が、南米やアフリカまでも自力でバイクを走らせて旅ができたなんて、誰が想像できたでしょう。
旅をする前の私しか知らない人たちは、誰も、以前の私と旅をする私を結び付けられないと思います。
なにより、自分自身が一番驚いていたかもしれません。
できるか、できないか、それって誰が決めるのでしょう。
人には無限の可能性がある、だからこそ、できるか、できないか、やってみないと誰にもわからない。
誰もがもっと自分に期待していいのではないか、今はそう思っています。
人とのコミュニケーション
私は、人とのコミュニケーションが苦手です。
そのため、若い頃には相手とうまく向き合えず、トラブルになることも多かったです。
長い間、その原因が何かはわかっていませんでした。
でも、旅をして感じたのです。
人と人とがコミュニケーションする時に、言葉という便利なものを使うからこそ、そこに頼りすぎて誤解を生む可能性があるのではないか。
私は、その言葉というものをうまく使うすべを知らな過ぎたのだと思います。
旅に出たときには、日本語を使っていたとしても相手にちゃんと気持ちを受け取ってもらえていない私。
それなのに、語学が苦手な私が海外で相手とコミュニケーションが取れるのか、そこは不安でした。
けれど、旅の間に感じたのは、コミュニケーションは言葉だけではないということ。
言葉をかわせなくとも、心はかわせる、そんな不思議をたくさん体感することができました。
真実があるところ
日本で平和に暮らしていると、海外の情報は何か良くないことが起きたニュースで知ることが多いのではないでしょうか。
私たちは、そういった情報をもとにしてその国々を考えるしかできません。
けれどそれは、とても怖いことだと思うのです。
体験して知る真実の一部
日本でもほとんど情報のない、私にとってもまるで知識がない未知の国々に入ると、自分の中の常識など通用しません。
言語、宗教、価値観、暮らし方、貨幣価値、大切にすること、守りたいもの…
私は、この地球という豊かな星に暮らす人々のことを何も知らないのだな、と思いました。
私が持っていた価値観なんて、日本という国の小さな地域の一家庭の中で築かれた、とても偏ったものだった、と思い知らされた気がします。
自分の感覚を大切にする
たとえ、国としての考え方には共感できなくとも、そこに暮らす人たちはそうではない、ということは多いのだと思います。
文化の違うイスラムの国に入ったときには、いつになく緊張していました。
けれど、実は私たちが旅の間に一番親切にしてもらったのは、そんなイスラムの国々の人たちだったのです。
もちろん、実際に体験して感じたことも、それがすべてではなく一部でしかないしょう。
ただ、実際に自分の目で見て、空気に触れて、その中に身を置くことで感じることは多いです。
何が本当に大切なことなのか、人からの情報や常識のように言われている考え方に惑わされていてはわからない。
自分で体験してこそ、真実の一端が理解できる 、そう思います。
本当の幸せ
幸せって何でしょう。
これが幸せだという明確なものは、多くの人にとって見えていなものかもしれません。
それでも私たちは、その明確ではないものを追い求めているのではないかと思います。
人に必要なものは何なのか
アフリカの国には、いまだにおとぎ話のような風景があります。
そこに住む人々にとっては、当たり前の風景。
私たちが、重要だと思って必死になるお金、地位や名誉、そんなものとは全く違う価値観で生きている人たちがいるのです。
子供たちは好奇心旺盛で私たちにも興味津々、大人も子供も家族や仲間と寄り添い助け合っています。
夕方になると集落の家々から、夕食を作るカマドの煙が細く立ち上っている、生きるということに向き合う日々。
物がない彼らは不幸せで、物がある私たちは幸せなのか、そう問われて答えを出せる人はいるのでしょうか。
物があったら便利さは得られるでしょう、けれど、物やお金があれば幸せなのか。
人類の誕生の地アフリカは、「人間の幸せは何か」と考えさせられる場所でした。
幸せと思える要素
幸せと思える要素は何でしょう。
「ギブミーマネー」、アフリカの子供たちはあいさつ代わりにこの言葉を口にします。
そのくせ、本当はそこに執着などないのです。
アフリカにヨーロッパ人が入り、さまざまな新しい価値観を押し付けました。
豊かさが基準の価値観、幸せのもとになること、本当に大切にしなくてはいけないことってなんなのでしょう。
私たちは、自分にとっての幸せというものを、人生をかけて探し続けている、のかもしれません。
新しい旅
私が最後に旅を終えたのは、2008年でした。
すっかり旅の日々から離れ、あの頃の純粋な思いも驚きも、夢だったかのような気がします。
夫、藤原かんいちは、その後もひとりで日本中の国道を全制覇する旅などをしていましたが、2015年に旅先で心筋梗塞になり緊急手術。
一命はとりとめましたが、そこから旅生活は中断することになりました。
それから7年後、担当医からも許可が出て、2022年に61歳で旅を復活しました。
50㏄バイク(原付バイク)で世界五大陸を制覇した後、電動バイクで世界一周の旅をし、今回の旅の相棒は、E-bike(電動アシスト付き自転車)です。
そして、なんと2023年春から、私も一緒にE-bikeで旅をすることになりました。
私にとっては15年ぶりの旅。
アクセルを回したら動いてくれるバイクとは違い、自分の力で漕がなければ前に進まない人力の旅。
体力にも筋力にも全く自信のない私、どうなるのでしょうか。
不安はありつつも、2023年は3か月かけて東日本、2024年は西日本を旅して、最終的には夫婦での日本一周を目指します。
多くの旅をして、ひとつ確信として得たことがあります。
日本一周、世界一周、という大きな目標を掲げているとしても、そこに飲み込まれると苦しくなります。
だからこそ、1日1日を楽しむことを意識して旅をする。
その積み重ねが、結果、大きな目標につながるのです。
それを実感として知っているからこそ、なんとかなるのではないか、という楽観的な気持ちでもいます。
久しぶりの旅で、どんな気持ちになるのか、何が心の中で芽生えるのか、今からとても楽しみです。
一緒に旅する気分で、応援していただけたら嬉しいです。