旅の記憶

世界には日本で普通に暮らしていただけでは想像もできなかった、さまざまなことがあります。

その経験が、今の私のすべてのことに繋がっているような気がします。

20代後半の独身時代から結婚後40代半ばまで、夫とともにバイクで海外の様々な国を旅してきました。

実際にバイクで走ったのが68か国、バイクで走っていない国も含めると、訪問国は76か国になります。

海外に出ていた全ての旅の期間を合計すると、通算5年になりました。

旅をすることで、知ったこと、体験したこと、感じたこと、考えたこと、少しでもお伝え出来たら嬉しいです。

そうすることで、一歩踏み出す勇気を、そこから広がる世界を、もっとたくさんの方に知っていただきたいです。

夫婦ともに60歳を過ぎてE-Bike(電動アシスト付き自転車)で日本一周にチャレンジしています。

日頃、何の運動もスポーツもしていない、自転車もママチャリしか乗ったこともない、そんな私が本当に日本一周などできるのだろうか…

そう思いながら旅に出た私は、得たものがたくさんあります。

それはきっと、旅ということだけではない気がします。

何かにチャレンジすること、動き出してみること、そこから感じられることは大きい、ということかもしれません。

外に出て周りを見渡してみると自分がいかに小さな世界にいたかということを認識させられます。

目次

バイクで世界を旅すること

旅のきっかけ

グラフィックデザインの専門学校で一緒だった彼(今は夫)と再会したのは、卒業して5年後のことでした。

彼は、バイクでの世界一周を計画していて、その夢に向かって頑張っていました。

一方私は、仕事に夢中で趣味もなく、楽しみは休日のショッピングや仕事終わりのお酒ぐらい。

旅の話をする彼は、地位も名誉もお金もないのに、なんでこんなに目をキラキラさせられるんだろう。

仕事の愚痴や上司の悪口を言いながらお酒を飲むような人たちも多くいる中、彼が宇宙人のように見えたことをよく覚えています。

私は、彼に会って以来「そんなに夢中になれるものって、どんなことなんだろう」と思うようになります。

その夢中になれるものを知りたくて、思い切ってバイクの免許を取ってみることにしました。

旅への決意

無事にバイクの免許を取った私に、彼がかけた言葉は「せっかく免許を取ったんだから、ヨーロッパだけでも一緒に行かない?」

まったく予想もしていなかった言葉でした。

悩んだ末、一緒に旅に出ることを決意したのです。

バイクにもアウトドアにも縁がなく、インドアで出不精な私が、自分でバイクを運転して海外を走るなんて、誰も想像することはできなかったでしょう。

もし彼がいなかったら、一生、そんなことには縁がなかったはずです。

チャンスを自分の手で掴むこと、それは、どんなことであれ、小さな決断から始まると思います。

想像できる安定した未来と、まったく想像できない未知の世界へ続く未来!

私は、「どうしてもダメだったら10日で帰ろう」と決めて旅に出る道を選びました。

行くか行かないか、その道を決めるのは、結局、自分自身です。
誰かの人生ではない、たった一度しかない自分の人生。

私は、自分で選んだ道を自分の足で進んで行きたい、といつも思っています。

だから、選んだ道に後悔はありません。

旅に出て知ったこと

旅に出た私を待っていたのは、本当に想像を超える未知の世界でした。

私が今まで常識だと思って大切にしてきたことなんて、とても小さな世界だけのこと。

そう思い知らされるくらい、驚きと発見の連続でした。

さまざまな国を、自分の運転するバイクで走っていく、点ではない線で繋ぐ旅です。

自分がどこまでできるか、毎日試されているような日々の中、たくさんの人たちに助けられ、支えられて旅が進んでいきました。

日本で知る海外の情報とは全く印象が違う国、そこに暮らす人々。

どんな状況にいる人たちも、どんな国籍でも、どんな宗教でも、みんなが幸せに暮らしたいと願っているのです。


雄大な景色の中に身をゆだね

北米 カナダ
北米・カナダ たくさんの野生動物にも出会った

見たこともない景色に驚き

ボリビア ウユニ塩湖
南米・ボリビア ウユニ塩湖の上をバイクで走り、キャンプをしました

人の気配を感じない何もない道をひたすら走り

オーストラリア
オーストラリア ひたすらまっすぐな道が続くナラボー平原

戦争の傷跡が今も残る暮らしを目のあたりにし

ヨーロッパ ボスニア
ヨーロッパ・ボスニア 住宅には弾丸の跡が残ったまま暮らしが営まれています

さまざまな環境で生きている人たちに出会い

アフリカ マラウィ
アフリカ・マラウィ 大きな荷物を頭に乗せ、歌いながら笑顔で歩いている女性達

異教徒・異文化の世界の中に身を置く

アジア イラン
アジア・イラン イスラムの人々は旅人にとても親切です

旅は、たくさんのことを教えてくれました。

今につながること

特に印象深かったのは、やはりアフリカでした。

アフリカの人たちは、今も電気や水道もないような暮らしをしている人々も多いです。

それでも、いつも家族や仲間を大切にして、助け合いながら暮らしています。

そして、彼らと接するうちに、私はこんな風に思うようになりました。

彼らは、確かに不自由な暮らしをしている
でも、彼らより私たちの方が幸せだと、本当に言えるのだろうか

物があっても、便利でも、心が満たされていない人々
物がなくても、不便でも、精一杯生きている人々
彼らより、私たちが勝っていると、なぜ言えるのか

そうして私は旅を終えた後、外に目を向け続けるだけではなく、日本での自分たちの暮らし、普通の日々に目を向けるようになっていきます。

この思いが、暮らしや心を整えるという、今の活動に大きく影響しています。

一度しかない人生、もっともっと幸せに生きていきたと、全ての人が思っているはずです。

旅のルート

旅のルートは、私自身が自分でバイクを運転して旅したルートですが、夫とタンデムでの日本縦断では、北海道から沖縄まで旅をする機会もありました。

世界を旅し、改めて日本を旅してみると、日本がとても緑豊かで水の豊富な美しい国だとわかります。

今は、遠くまで行かなくても、素晴らしい旅の体験はどこででもできると思っています。

Around the world

トータルすると、バイクで旅をしていた期間は5年。
バイクで旅した国は68か国になりました。
※バイクで走っていない国を含めると76ヵ国訪問

ヨーロッパの旅

ヨーロッパの旅

夫、いえ、この時はまだ夫ではありませんでしたが、彼が世界一周を計画し、ひとりでアフリカを旅した後、次のヨーロッパを一緒に旅しました。

これが、私の初めてのバイク旅でした。

はじめての体験で、何も教えてくれない夫にイラつき、夫は、足手まといな私がいることで一人旅とは違うことにストレスを抱えます。

お互いに、小さな殺意がわいてくるような旅でした。

そして、最後にバイクを盗まれてしまい、突然に旅が終わることになります。

その時、旅が始まって7か月。

嫌だったら10日で帰ろうと思っていた旅も、素直に、もっと旅をしていたいと思えていたことは、自分でも驚きでした。

この旅で、私は旅の魔力にはまったのかもしれません。

それでも、お互いのストレスが溜まって爆発したのが、旅が始まって3か月ぐらいたった頃。

あれを乗り越えたからこそ、その後、結婚できたのだと思います。

旅が3か月未満だったら、絶対に結婚していなかったでしょう。

【旅のデータ】

期 間 : 1991年5~12月(7ヶ月)
訪問国 : 22カ国
(フランス・イギリス・アイルランド・ベルギー・オランダ・ドイツ・デンマーク・ノルウェー・フィンランド・スウェーデン・ポーランド・チェコスロバキア・スイス・オーストリア・リヒテンシュタイン・ハンガリー・ルーマニア・ブルガリア・トルコ・ギリシャ・イタリア・モナコ)

北南アメリカ縦断の旅

北南アメリカ縦断の旅

アフリカ・ヨーロッパ・北米と旅をしていた夫でしたが、体調不良になり途中で世界一周を断念。

その後、日本に帰国して結婚しました。

アメリカ大陸縦断の続きは、ふたりで旅しようと、また一緒に旅に出ることになりました。

私にとっては、2度目の旅。

夫にとっては、結婚後にアジアをひとりで旅した後、また久しぶりの二人旅でした。

この時の旅で、私は、前回よりももっと自分らしい旅ができるようになった気がします。

そして、ヨーロッパの時よりも、現地の人達との出会いがあり、濃密な時間を過ごしたこと。

さらには、日本人の旅人たちともたくさん出会い、今でも家族のように付き合える仲間ができました。

過酷な状況にチャレンジすることも、見たこともない自然の中に身を置くことも、全て自分に返ってきます。

旅をすること、旅を楽しむこと。

この旅で本当に旅が理解できてきた気がします。

【旅のデータ】

期 間 : 1997年7月〜1999年3月(1年8ヶ月)
訪問国 : 19カ国
(カナダ・アメリカ・メキシコ・ベリーズ・グアテマラ・エルサルバドル・ホンジュラス・ニカラグア・コスタリカ・パナマ・コロンビア・エクアドル・ペルー・ボリビア・アルゼンチン・パラグアイ・ブラジル・ウルグアイ・チリ)

電動バイク世界一周の旅

世界一周の旅

夫は、小さなバイクで旅することにこだわっていました。

モトラ50ccでオーストラリアを旅したことを皮切りに、ゴリラ50ccでアフリカ・ヨーロッパ(この時私はダックス70cc)・北米を旅し、50ccのスクーターでアジア横断、その後、私と一緒に新聞配達で使うカブ50cc2台で北南アメリカ縦断の旅をしました。

北南アメリカ縦断の旅を終えたことで、原付(50cc)バイクでの世界一周を成し遂げたことになります。

そして、次にやろうとしたのが、電動バイクでの世界一周。

原付バイクよりももっと非力で、まだ誰もやったことのない充電しながらの旅。

そこで、私は荷物持ちとして家庭内スカウトされ、250ccのスクーターで一緒に旅することとなります。

アメリカ、オーストラリア、ヨーローッパ、アフリカ、アジアをそれぞれ半年程度旅をし、その後、バイクを次の大陸に送っている間、日本に一時帰国する、というスタイルで5年間にもわたる旅となりました。

※この旅ではずっと動画を撮っていて、スポンサーとして協力してくださっていたBDSさんが編集してくださった映像があります。
その映像とともに、少しずつご紹介していきます。(このページの最後にリンクしています)

【旅のデータ】

期 間 : 2004年3月〜2008年3月(通算3年)
訪問国 : 43カ国
(アメリカ・カナダ・メキシコ・オーストラリア・ニュージーランド・ポルトガル・スペイン・アンドラ・フランス・イギリス・ベルギー・オランダ・ドイツ・リヒテンシュタイン・ルクセンブルグ・スイス・イタリア・スロべニア・クロアチア・ボスニアヘルツェゴビナ・セルビアモンテネグロ・ルーマニア・ブルガリア・マケドニア・ギリシャ・南アフリカ・レソト・スワジランド・ジンバブエ・モザンビーク・マラウィ・タンザニア・ケニア・マダガスカル・トルコ・シリア・イラン・パキスタン・インド・バングラデシュ・マレーシア・タイ・カンボジア・台湾・日本)

旅の活動

夫は、子どもの頃から旅をするのが好きだったそうです。

自転車からバイクに乗り換えたのは20歳を超えてから、その後、バイクで日本一周をしていた時、360℃の地平線を見たいと思ったそうです。

その思いが、彼を海外に向かわせました。

27歳で単身オーストラリアに行き、バイク旅したことがすべての始まりでした。

英語もできず、一大決心でオーストラリアに行ったというのに、砂漠のテントの中で見た世界地図には、もっともっと知らない場所が広がっていたそうです。

そして、旅をする場所が、どんどん広がっていきます。

夫婦での活動

夫は、ひとりでも旅をしますが、時々、大きな旅に私を連れ出してくれます。

いつも小さなバイクのため、私自身もバイクの運転をして一緒に旅に行くか、家に留守番で帰りを待つか、選択はふたつにひとつ。

一緒に旅をする機会が増えるたびに、『藤原夫婦』として、紹介していただくことも増えてきました。

夫は、旅行家として活動し、旅は全て、雑誌・新聞・週刊誌・ラジオ・Web・講演会・写真展などで発表しています。

夫が、バイクで走った国は86か国、バイク以外での訪問国も合わせると94か国。

旅の期間は、国内・海外を合わせて通算10年以上にもなります。

https://www.kanichi.com/

私自身の活動

夫は、初めてオーストラリアを旅した時から、ずっと自分の旅のことを発表してきました。

私が最初に雑誌に書かせてもらったのは、北南アメリカ縦断の時、夫の連載の中に小さな小さなコーナー。

『妻浩子の小言』というコラムを書かせていただいていたのがはじまり。

その後、電動バイクでの世界一周の時には、初めて自分の連載『世界の路から…』を持たせていただき、夫の連載の中にある『ヒロコのぶっちゃけ裏話』というコーナーとともに、ずっと、毎月の原稿を書きながら旅をしていました。

そして、旅を終えて数年。

私がしてきた旅のことや、私が旅をした国のこと、そして、そこに暮らしている人々のこと、それを、もっともっと多くの人に知ってもらいたいと思い始めるようになります。

それは、旅をしていた時に、私たちに手を差し伸べ、無償の愛で支えてくれた現地の人々、笑顔で接してくれた多くの人たちへの恩返しをしたい、というような気持でもありました。

そして、私が決断をして旅という新しい世界に踏み出したこと、新しい世界に飛び込んだからこそ、たくさんのことに出会えたこと。

バイクも旅も得意なわけではなかった私だからこその視点で、何か伝えられることがあるのではないか

そう思って、また、旅のエッセイを書かせていただきました。

タンデムスタイル

タンデムスタイル(クレタパブリッシング)
2003~2008年まで連載(2page)
『世界の路から…(フジワラ夫婦の世界一周 出会いと別れと心のふれあい旅)』

電動バイクで世界一周の旅の始まりから終わりまで、約5年間2ページのエッセイを書かせていただき、特集記事以外の私の連載回数は36回になりました(毎月発行)

OutRoder(アウトライダー)

アウトライダー2014年12月号

OutRider
2014年12月号~2018年10月号まで連載(2page)
『藤原ヒロコの海外バイク旅回想録』

残念ながら2018年10月号をもってOutRider誌の定期発行が終了。
私のエッセイも、4年24回(隔月発行)で終了となりました。

Lady’s Bike(レディスバイク)

レディスバイク2014年4月号

Lady’sBike(クレタパブリッシング)
2014年4月号~2019年4月号まで連載(1page)
『世界を旅したヒロコの話。』

5年以上の長期連載で、連載回数31回(隔月発行)
ヨーロッパの旅と、北南アメリカ縦断の旅のことを書いて、役割を終えさせていただきました。

コラム

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