Vol.5 楽しいはずの旅が「殺意の旅」に変わっていく

目次

二人旅がはじまったら

旅が始まって、周りの人たちのあたたかい気持ちを受けながら、幸せな時間を過ごしていました。

ヨーロッパの旅のコースは私に一任されていて、かんいちがアフリカを旅していた1年間、情報収集しながら自分なりにここは行きたい、はずせない、という場所もチェック済み。

すべてを網羅することはできないけれど、ある程度は、その希望をかなえられるようなルート選択をします。

パリを出発して最初に訪れたのはベルサイユ宮殿。

帰りの交通機関のことなどを気にすることなく、好きなように時間を使えるバイク旅は本当に自由度が高く、ゆっくり堪能することが出来ました。

観光地に興味がなく、アフリカを地図だけで旅したかんいちに任せておいたら、行きたいところにたどり着くことはできなかったかもしれません。

その辺は、事前に自分で情報収集する時間があって本当によかったです。

外国語については、パリに滞在中に必ずしも言葉という手段を使わなくても意思の疎通はできるし、そこから心が通い合うこともある、ということを体験済み。

ある日のフランスで、私たちの簡単なデタラメ英語で道を尋ねたことがありました。

すると、若い彼はなかなか言いたい言葉が出てこないようで、四苦八苦しながら一緒に私たちの目指したい方向への道を考えてくれました。

フランス人は英語が苦手な人も多いようで、そんな体験も私を勇気づけてくれた気がします。

みんなおんなじですよね、苦手なことだってあるし、外国語は難しいですもの。

実は、かんいちも英語は苦手、そして、そんな人から「俺より英語できない人、初めて見た」と言われた私です。

実践で言葉を発してきた彼と、学んでいるだけで話す機会がなかった私は、なんとかふたりでやっと理解していた感じでもあったなぁ。

もちろん外国語を話せる人たちに比べたら断然不自由ではあるし、深い会話ができないのは残念だけれど、それでも様々な体験を通し「なんとかなる」とも思えていました。

旅が長くなるとそれは日常になる

宿泊については、完全に行き当たりばったりです。

今と違ってスマホもない時代、事前に宿を予約するのも至難の業。

毎日、今日はこの辺の町にしようと決め、実際に町に入ってから安ホテルかユースホステルかB&Bかキャンプ場など、その日の宿を探します。

ヨーロッパは、夏の長期休暇をキャンプ場を拠点にして過ごす方も多く、どの国でもキャンプ場が充実しています。

天気の良い日は、じめじめした安宿よりも、断然キャンプ場の方がきれいで快適。

バイクには、テントやシュラフ(寝袋)、調理器具など、家財道具一式を積んで走っているようなものなので、困ることはありません。

順調に進んでいるように見える旅ですが、実は、旅の日々が重なるにつれて、小さな歪が少しずつ大きく広がってきているようでした。

数日間の旅行であれば、日常から離れて特別な時間として過ごすことができるでしょう。

けれど、月単位で続く旅となると、それは、だんだんと日常となってくるのです。

それは、自分でも想像もしていなかった感覚でした。

だからこそ、相手への不満も募ります。

言葉の通じない海外で、日本語で気兼ねなく話せるのが目の前の相手だけ、だれかとたわいもない会話をして気分転換することもできず、愚痴をこぼす相手もいません。

だからこそ、お互いに不満がたまってきたのだと思います。

「なんでこれくらいのことがわからないんだ」

ずっとひとりで旅してきたかんいちは、ふたりでいることで思い通りに進まないことにイライラがたまってくる。

「なんで先に教えてくれないの」

一方の私は、バイクを運転することも、海外を旅することも、キャンプも、アウトドアでのあれこれも、すべて初心者。

わからないことだらけなのに、教えてもくれないことに不満がたまる。

ある時、ふたりで並んできれいな湖を眺めていた時、フッとかんいちが私の方に一歩近づきました。

「びっくりした、押したりしないでよ!」

そんな言葉が出てきたのは、どこかお互いの殺伐とした雰囲気の中に、小さな殺意を感じたのかもしれません。

泳げない私たちは、どちらかが湖に落ちたら助からないかもしれませんから…。

もう限界だ!

爆発したのは、かんいちでした。

「もう限界だ!一緒に旅はできない!」

それは、北欧の小さなキャンプ場のテントの中、何がきっかけだったのかは全く記憶にありません。

少しは話をした気もしますが、私はこの場に一緒にいてもらちが明かないと思い、テントを出てキャンプ場内にある小さな湖のほとりに腰を下ろしました。

「ここからひとりで日本に帰国することはできるのだろうか…」

「バイクはどうしたらいいんだろう、荷物はどうする?」

こんな時も、女は現実的なことを考える生き物のようです。

そんなことを考えてるとは知らないかんいちは、なかなか戻ってこない私が急に心配になったそうです。

そこで、きっと考えたんでしょうね。

「このまま、ここで別々になったらどうなるんだろう…」

結局、もうしばらく一緒に旅をしよう、ということになりました。

そして、この時に爆発できたのがよかったのだと思います。

かんいちは、これは、ひとりの旅ではないと理解した。

私も、旅の日々に少しずつ慣れてきて、できることもわかることも増えていった。

この時、旅を始めて3か月。

旅が、3か月未満だったとしたら、きっと私たちは結婚していなかったでしょう。

ふたり旅は、ひとり旅とひとり旅が一緒になるのではない。

ふたり旅という新しい形を築いていくもの。

それは、今も夫婦でいる私たちのパートナーシップとしての考え方のもとになっているのだと感じています。

つづく

1991年5月~12月まで、ヨーロッパをふたりでバイクで旅した時のことを振り返っています。
ベルリンの壁が崩壊したのが1989年11月のこと、旅を始めたのは、それから1年半しか経っていない激動の頃でした。
ヨーロッパの様子も今とは大きく違うところもあるでしょう。
旅もバイクも超初心者の私が旅に出るまで、そして、この時はまだ夫婦ではなかった私たちの様子も懐かしい思い出です。

旅の記憶

Around the world
実際に私が夫とバイクで旅したルート

藤原かんいちホームページ

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