1991年旅が始まった
ヨーロッパの旅に出るまでの私の海外旅行経験は、中学・高校で仲良くしていた幼馴染のような友人たち4名と、二泊三日で香港に行ったのが、最初で最後。
その中の一人の彼が旅行会社に勤めていたこともあり、全員が初海外の女だけの旅行を心配して、ガイドに車に運転手まで準備してもらう至れり尽くせりの旅行でした。
おいしいものを食べて、買い物して、観光して、グレードアップして夜景の見える部屋をとって、夜は部屋でお酒を飲んで、それで大満足でした。
一方、かんいちとの旅は、どうだったか…
はじめての長時間の飛行機で食べて寝て映画見て食べ寝て映画見て、それだけでも興味深々。
消灯になってしばらくした時、斜め前の席に座っていたお姉さんがソルティドックか何かを頼んで、カッコよく時間をかけて楽しんでいる姿に目が釘付け、憧れたなぁ。
そんな飛行時間も楽しんで、到着したのは夜のフランス・パリでした。
かんいちが目星をつけていた宿へ重い荷物を引きずりながら向かいます。
初日の宿は、初のバックパッカーズ、男女別のドミトリーでした。
なんとか2段ベッドに上段を確保できたのですが、すでに下の方は寝ている様子、そんな中、自分のシュラフ(寝袋)を出して寝る準備をするだけでドタバタ…
下から「うるさい!」と言わんばかりのパンチ(ベットに)をいただきました。
すみません…。
パリでの初体験は、ちょっぴり苦い体験からはじまりました。
パリでの宝物時間
翌日には、しばらく滞在できそうなプチホテルを見つけて移動できたので、ほっと一安心。
そのプチホテルでのことは、今でも思い出すとしんみりとするくらい懐かしく宝物のような時間でした。
ホテルのオーナーは品の良い高齢のマダム、いつも優しい笑顔で接してくれます。
節約していた私たちは、よく近所のパン屋さんでフランスパン(超絶おいしい)を買い、近所のスーパーでハムとチーズ(これまたおいしい)を買ってきます。
そしてホテルで、日本から持って行った水筒にお湯を入れてもらって、カップスープと一緒に食べていました。
マダムは、いつも嫌な顔ひとつせずにポットにお湯を入れてくれ、時々、茶目っ気たっぷりに「今日は、お湯はいいの?」と聞いてくれます。
それだけで、どれだけ緊張している私の気持ちを和らげてくれたかわかりません。
それはマダムだけでなく、こんなこともありました。
日本に帰国中に預けていたかんいちのバイクを受け取り、私のバイクもパリのバイク屋さんの人たちに助けてもらいながら、なんとか手に入れることが出来ました。
最大の難問だったバイクを手に入れるまでのことは、また、ひとつのストーリーが書けるほどの出来事でもあったのですが、それはまたいつかお話するとして、これでやっと本当に旅をスタートさせられます。
バイクを受け取ってから、部屋の窓の下、ホテルの外壁の前に私たちのバイク2台を路上駐車していました。
私はそのバイクが心配で、何度も何度も窓から顔を出してバイクを確認していました。
すると、道を挟んだ向こう側の会社にいる方と目が合い、なんとなく挨拶するようになりました。
おじさんは、何度も何度もバイクを眺めている私の姿を見て、気にしてくれたよう。
「バイク、見ていてあげるよ」みたいなチェスチャーをしてくれたんです。
異国の地で、音が届かないこちらの部屋とあちらの部屋で、言葉を使わないエスパーみないな会話。
それは、親戚のおじさんに優しく見守られているような安心感を私にもたらしてくれました。
私たちは、ふたりっきりでここにいるわけではない、こうして周りの人たちが気にかけてくれて、見守っていてくれている。
それが、どれだけ私に勇気をくれたかわかりません。
出発の朝、マダムはいつものようにポットにたっぷり熱いお湯を入れてくれて、「今日は、朝食を食べなさい」と、本当は有料の朝食をごちそうしてくれました。
最後まで、優しい笑顔で接してくれたマダムやホテルの人たちのことは、今でも忘れられません。
バイクに荷物を積んで本当にこれで出発というところで、道の向こうのおじさんに「さよなら」を言いに行きました。
すると、わざわざ外まで出てきてくれ、「ボンヴォヤージュ(よい旅を!)」と固く握手をし、出発を見送ってくれました。
私は、フランス語なんてひと言も話せません。
それでも、パリのプチホテルに滞在していた間、とても幸せな時間がたくさんありました。
今でもパリが大好きなのは、こんな時間があったからかもしれません。
本当の旅は始まった
パリを出ると、キャンプ場でのテント泊も多くなります。
そんな最初の朝、布切れ1枚でしか外と遮断されてない環境に慣れず、横を通る人の足音や鳥の声が気になってよく眠れませんでした。
眠い目をこすりながらテントの外に出ると、通りかかる人が次々に「おはよう」「いい天気ね」「どこから来たの」と、声をかけてくれます。
なんてみんなフレンドリーであたたかいのか。
聞くところによるとヨーロッパは多民族国家、「私は敵ではないよ」という意味も込めて、そうやって誰にでも挨拶をする習慣があるのだそうです。
日本とは違う環境、新しい発見や体験がたくさんある。
旅への不安や怖さは、そうやって周りの人たちが少しずつ和らげてくれた気がします。
結局、日本を出発する前「嫌だったら10日で帰ってこよう」と思っていたはずなのに、そんな思いはすでに微塵もありませんでした。
199年5月~12月まで、ヨーロッパをふたりでバイクで旅した時のことを振り返っています。
ベルリンの壁が崩壊したのが1989年11月のこと、旅を始めたのは、それから1年半しか経っていない激動の頃でした。
ヨーロッパの様子も今とは大きく違うところもあるでしょう。
旅もバイクも超初心者の私が旅に出るまで、そして、この時はまだ夫婦ではなかった私たちの様子も懐かしい思い出です。